信越国境・佐武流山
 (さぶりゅうさん2191.5m)
 昨年(H12年)9月に登山道が復活

 H13年7月8日(日)前夜発
  天気;晴れ 
  Member.3人(青木・石原夫婦)

 【コ ー ス 】
(〜は歩、休憩時間含む)

林道ゲート4:25〜(1キロ過ぎてまもなく旅館の車に同乗させていただいた4:45)=檜俣川登山口5:05-15〜檜俣川5:25〜物思平6:20〜(休憩6:25-40)〜ワルサ峰7:45-8:10〜西赤沢源頭分岐(苗場分岐)8:45〜坊主平9:00〜(休憩9:15-30)〜佐武流山頂10:00-50〜坊主平11:15〜分岐11:20〜ワルサ峰11:50-55〜物思平12:40-50〜檜俣川13:20-30〜林道(登山口)13:45〜林道ゲート14:55
(所要時間約10時間30分・・休憩含む)

【佐武流山、鳥甲山より】右


 前日、鳥甲山を下山した後、津南駅で久々に悪友と合流した。何しろ言いたい放題の遠慮のない人物で、いつもどれほどこの繊細な神経が傷ついているかしれない・(と、敵さんも言っている)。いやいや冗談はともかく、かつてはよく一緒に行ったものだが、仕事や引っ越しの関係などで、今回久しぶり(1年くらいか?)だった。私たちはたまに?歩いているが、今回約半年ぶりの山行になるという。初めは軽く歩ければと謙虚に言っていたが、なかなか意見がまとまらず、佐武流と出た途端に一致した。青木氏はかつて残雪期の単独縦走をした場所であり、なにより佐武流という名前に惚れている。私はといえば、昨年白砂山から眺めた山であり、且つ、廃道になっていた登山道が復活したということで、いつか行きたいと気になっていた山であった。やはり名前がいい。しかし佐武流山の、どこが軽い山行と言えるか・・・

 津南駅で合流したとき思いがけない土産話を持参。なんと、夫も青木氏も出入りしている眼鏡屋さんの元従業員だった人が津南に眼鏡屋さんを営んでいるという。時間もあったので、ちょっとした手みやげを持って挨拶に行き、しばし歓談。母上の働いているお料理屋さんで、いろいろサービスしていただいて夕食を済ませ、再び挨拶を済ませてから佐武流山登山口へと向かった。

 R405を切明温泉の分岐まで戻り、温泉と反対の左側へと進んでいくが、この際、標識が無いので注意がいる。一方、和山入り口から一本東側の林道も、直接登山口の林道ゲートに続いている。その辺りの旅館はそちらの林道からまっすぐゲートを入っている。R405の切明温泉方面から来ると、ゲートが右側の後側になってしまうので、うっかりすると気づかずに通過してしまうかも知れない。駐車場もなく、ハンドルの切り返しも一度では無理だろう。車は幅の広そうな場所に寄せて置くしかないが、私たちの場合は50Mほど離れた場所に、ちょうど道路からはみ出さない場所に一台分のスペースがあったので、そこに置いた。

 朝は4時出発の予定だったが少し遅くなってしまった。しかしこれも後から思えばラッキーだった。ゲートをくぐり、歩き始めて20分ほどの1キロを少し過ぎた辺りで車の音がしたので横に寄った。すると2台止まり、乗せてくれるという。こちらは3名、一人が前のバンの荷物スペースに一緒に乗り込み、2名は後の車へということで4駆の後部座席に乗り込んだ。それから乗ること約20分。歩いたらやはり大変な距離だった。

 バンを運転していたのは「ひだまり」という宿の女将さんだという。湘南の山歩きのグループ10名で昨夜泊まり、こうして車で入って来られたらしい。この日は「ひだまり」の主人も既に山に入っているという。あとから分かったことだが、この佐武流の登山道を再び切り拓いた前進倶楽部というボランティアグループの一員のようで、この日も佐武流から苗場に向けての登山道を作っているということだった。復活は来年になるという。このグループとはこの後一部の方に出会う。

 登山口で皆さんにお礼を言って、3名の私たちはひとまず先行する。青木氏は山なれた人であったが、忙しかったため半年ほど山には入っておらず、私たちも前日の鳥甲山を歩いていたので疲労が残っていた。したがってゆっくり休みながら歩くことにしていたが、林道を1時間近く短縮出来たことは、それ以上の負担の軽減になったと思う。

 檜俣川まで下り、徒渉するが、靴を脱がずに渡ることが出来た。そこからは一気に登りになる。登山道はまだ荒削りで自然林豊かな柔らかい土壌はまだしっかりと安定していないように感じる。でも思ったより登山者が入っているようだ。笹を刈った跡や木の根に注意を要する。半ズボンはやめた方がよいだろう。

 天気は晴れ、物思平より少し上の見晴らしの良いところへ出てから休むことにする。風が吹けば気持ちがよいが、早くも蒸し暑い。岩菅山方向へ続く烏帽子岳、笠法師岳の稜線が美しい。反対側には苗場山方向が見える。青木氏の足の調子に不安があるということで少し多めに休みながら行くことにする。途中ヒカリゴケがあった。緑色の蛍光色を放ってとてもきれいだ。下山時にこのヒカリゴケをもう一度見ようと思っていたのに3人で注意していたにも関わらず通り過ぎてしまった。記憶力とは充てにならないものだと苦笑。 

 ワルサ峰辺りで青木氏の足が痙攣をおこしたというので少し下の涼しいところでゆっくり休むことにした。持っていたバンテリンを塗る。私も昨日のローギヤの自転車こぎがこたえたようで思わぬ筋肉痛があった。同じくバンテリンを塗る。そろそろ出発しようかと思った頃後続の声が聞こえてきた。先ほどの10名パーティかと思ったら7,8名の別パーティだった。ワルサ峰の所で休憩していたようだ。檜俣川で抜いてきたというからほぼ同じ頃に登ったことになる。

 ワルサ峰からいったん少し下り、苗場山分岐の西赤沢源頭へと登り返す。苗場山からの稜線を眺めながら分岐へ着くと、大きなザックがいっぱいおいてあり、「前進倶楽部」と書かれた横断幕(旗)が張られてあった。これが佐武流を復活させたグループなのかとその遭遇に感謝の思いを強くする。苗場方面の登山道を切り開いているそうで、伐採する機械の音が響いていた。

 そこから15分ほど上に行くと坊主平で、いくつかテントが張れそうなスペースがあり、そこでもボランティアグループがくつろいでいた。少し話しをしたが、前進倶楽部の活動は年に1回で、10名ほどの地元の人、20名ほどの有志が2,3日かけて一気にするそうだ。毎年参加者が多少代わるそうだが、ガソリンの重さに驚いたとか、苦労話も少し伺うことができた。

 蒸し暑いため場所を選んで休憩するのでタイムが変則的だが、青木氏が登りになると足がつるというにも関わらず、歩きはどうにかコースタイムで歩いている。辛いという割には能弁で、元気がよい。心臓も元気だとのたまう。車から降りたとき酔ったせいか気持ち悪かったというが、その割にはしゃべり詰めだった。本人は元気付けのようだったが、相づちをうっている夫は結構辛そうに見えた・・・

 坊主平のあと一度ゆっくり休み、その後は山頂までそのまま行った。山頂はそれほど広くなかった。後から10名パーティが来ると座る場所がなさそうに思えたが何とかなるだろう・・。木に囲まれて、展望が悪かったのは残念だった。白砂山の方面を見てみたかった。とりあえず写真を撮って、昼食とする。久々に青木氏の入れてくれるコーヒーを楽しみにくつろいでいると、単独登山者が次々にやってきた。

 下山しようと思っていた頃、林道で同乗させて貰った10名パーティがやってきた。挨拶してそのままお先に下山する。下山には私もストックを出す。昨年辺りから使い始めたストックが下山時にはかなり有効的に使えるようになった。下山は早かった。3カ所ほどであったか、ロープを伝う場所があった。こういう場所は人数が多いと時間がかかる。後続パーティはやはり離れたようだった。

 ヒカリゴケの場所は気がつかないままに通過してしまったが、イワカガミ、シャクナゲの咲き残りが少し見られた。ゴゼンタチバナ、マイヅルソウ、ヨウラクツツジ(orウラジロヨウラク?)なども咲いていたが、全体的にお花は少なかった。前日の鳥甲山の方がお花は咲いていた。もう少し前の残雪期なら、また別の花が楽しめたことだろう。

 下山時も登りになると足が痙攣を起こすという青木氏は休んだときもバンテリンを塗ったが、下りや平坦な所は大丈夫だという。下りで足を痛めなかったのは幸いだった。やはり並の人間ではない。夫に言わせれば、人間ではないという。納得!

 檜俣川で休憩しているときに単独者が一人下りてきた。ゆっくり休んだ後、先にそこから登り返して林道に向かった。この登り返しがもっときついと思っていたが、それほどでもなかった。記憶というものは曖昧なものだ。

 林道歩きは下りだからあとは気楽に歩ける。帰りも車に便乗では申し訳ないし、多少の意地もあるから一生懸命自力で歩く。でもつくづく朝は乗せて貰って良かったと思った。もし朝歩けば山頂まで行けただろうか。不調だっただけに疑問が残る。途中で川で会った単独の男性が私たちを速いペースで追い抜いていった。やはり車が来る前に辿り着きたいようだった。私たちがゲートまであと1キロぐらいというところで団体の車が抜いていった。

 歩きでのある林道歩きを終えて車に戻った後、温泉は前日と同じ雄川閣へ。300円、シャンプーリンス、ボディシャンプー、ドライヤー等あり。露天風呂あり、ただし離れているので着替え直す。