蔵王;南蔵王〜北蔵王
(標高はコース内に記録)
   残雪たっぷりの蔵王を縦走

 H12年5月3-6日(水-土)当日発
  天気;下記 :
  Member.2人(夫婦)

上【南蔵王〜熊野岳】

 【コ ー ス 】
(〜は歩、休憩時間含む)

3日 雨後曇り
南蔵王キャンプ場7:40〜不忘山(1705.3m)12:00-45〜南屏風岳(1810m)13:50-14:00〜水引入道分岐の手前でビバーク15:00(テント泊)
(所要時間約7時間20分・・休憩含む)

4日 曇り後みぞれ又は雪
幕営地7:35〜水引入道分岐7:55〜屏風山(1817.1m)8:30-35〜芝草平にてビバーク9:50(テント泊)
(所要時間約2時間15分・・休憩含む)

5日 晴後曇り後晴
芝草平6:40〜杉ヶ峰(1745.3m)7:25-35〜前山(1684m)8:10〜刈田峠避難小屋8:40-50〜エコーライン刈田峠9:15〜刈田岳(1758m)10:25-35〜レストハウス10:40-12:00〜避難小屋12:50〜熊野岳(1841m)13:00-05〜避難小屋13:15-20〜自然園14:30〜名号峰(1490.9m)15:30〜八方平避難小屋(1279m)17:35(小屋泊)
(所要時間約11時間・・休憩含む)

6日 晴
八方平避難小屋(1279m)7:00〜南雁戸山(1486m)8:15-45〜雁戸山(1484.6m)9:30-10:05〜前山〜分岐10:50-11:05〜関沢方面林道12:15〜関沢バス停12:45(山形駅方面行13:05発乗車後途中下車)
(所要時間約5時間45分・・休憩含む)


 出発前の情報では20年来の大雪だったため残雪も例年以上だと言う。加えて天気も下り坂。どうしたものか少々迷ったが他に変更するには準備が間に合わない。エスケープルートもいくつかあることだし、ということで予定通り蔵王を目指すことにした。

 7日を予備日にして2日午後出発、3ー6日の蔵王縦走。南蔵王、北蔵王、更に北上し神室山、南面白山まで通り抜ける予定だったが、出だしの悪天候で南から北の蔵王縦走に短縮となった。

 前日、宮城の白石ICに到着したのは18時頃だったろうか。給油と食事と食糧補給を済ませ、駅の駐車場に車を置く予定を変更して南蔵王キャンプ場へと向かった。温泉に入れる時間には間に合わず残念ながら断念。目的地には20時頃着、今回はゆっくり眠れると気をよくする。が、気になっていた天気予報を聞くとやはり翌日は一日雨と雷だという。そして間もなく雨が降り出してきた。明日は温泉だ〜。

【一日目:3日】

 5時頃目覚めると外はどしゃぶりの雨。やっぱり温泉、それともコースを変えようかと考えつつそのまままた眠りにつく。6時に起きると雨がやんでいる。南に吾妻連峰の山並みがきれいに見えた。天気予報が微妙に変わってなんとかもちそうな予感。予定通り行くことにする。駐車場があるわけではなく、キャンプ場の登山口に車を置いて歩き出す。

 はじめなだらかな登山道に雪はない。樹林帯の中、気持ちの良い土の上をゆっくり歩いていく。3泊4日の雪山装備はさすがに重い。目指すは不忘山(御前岳)。緩やかな登りに傾斜がつき雪が少し現れたと思ったら再びなだらかな斜面が目の前に広がった。しかし一面の雪。ダケカンバの林はガスに包まれ神秘的だ。流れるガスの合間にときおり不忘山が顔を現すが、ほとんど隠れてしまっている。トレースはおそらく2、3日前の連休につけられたと思われるが昨夜の雨で消えかかっていた。積雪約1メートル、早くも大きい木のまわりの雪はぽっかりとなくなっている。たまにズボッとはまるが全体に雪はしまっていた。

 樹林から低木に変わって等高線の間隔が狭くなったと思われるころ、雪は消え、ガレ場になった。距離にして登山口から3キロ地点まで残雪があり、残り1キロは夏道になっている。太平洋側(東側)からのルートはどれも積雪量が多いようだ。踏み後はほとんど見られなかった。こちらにコース変更をしなくて良かった。

 山頂についたのは丁度正午。どこからか「エリーゼのために」のオルゴールが聞こえてきた。南西の谷側に部落があるようだった。雨に降られず雷にも遭わず、思いがけなく登れた不忘山山頂。こんな日に登る人は他に誰一人なく、GWにしては静かすぎるがガスの切れ目に近くの山も垣間みることが出来、儲けものの一日に感謝した。

 二万五千図の地形図を眺め、不忘山より北の痩せ尾根の雪庇が気になっていたのだが、ここも雪が少なく、心配なく歩けた。ガスは相変わらず広がっていたが、お陰で登山道も比較的分かり易い。しかし南屏風岳に近づくにつれ、ズボッと足がはまるようになってきた。一度はまると膝から腿まで落ちる。ペースが落ち、ワカンを出すが、着けても似たようなものだった。

 南屏風岳山頂は広く、雪のないところが広がっていた。岩陰を見つけ少し休憩。再びズボズボ状態の登山道を行く。せめて芝草平まで行きたかったが、ガスも出て見通しもきかないため、3時を目処にビバークすることにした。

【二日目:4日】

 夜の内にみぞれから雪にかわって、朝テントの外に出ると新雪が昨日の私達の足跡をうっすら隠し、樹林は見事な樹氷になっていた。相変わらずガスが濃く立ちこめている。その風景がまた美しい。

 朝食を済ませ、登山道が分かる安心感から、出発することにする。足を取られながらズボズボ登山道を行くと、前を歩く夫のトーンを下げた心細げな声が振り返った。「これ熊だよ!」、夫の前を見ると、まだ真新しい熊の足跡が横切っている。思わずまわりを見回す。その時の心境たるや一瞬ゾーッとしたが、側にいないと分かると今度はゾクゾクした。しかし首からかけてある笛をこまめに鳴らしながら歩いていった。再び夫が振り返り「トドの足跡もあるよ」と視線を落として言う。すかさず「ゾウアザラシの足跡にしっかりついて行ってるね」(山で、なんで海の動物なんだよぅ)。

 水引入道への分岐を過ぎると屏風岳へのルートはだんだんはっきりしなくなってきた。明らかに雪庇と分かる東側にいかないよう樹林の側を歩いて行く。なだらかな樹林帯が広がり、雪のしまっていそうな所を選んで進んでいくと屏風岳山頂に到着。ここも無論ガスで展望がない。

 地形図と磁石を頼りに先へ進み、雪面にかすかに残っているスキーの跡を辿って(それも間もなく消える)芝草平方面へと下っていった。下りきったあたりで休憩しガスの晴れるのを待ったが全く晴れる様子がない。まだ昼前だがビバークと決めテントを張った。もちろん晴れればすぐ畳むつもりで。しかし何回外を覗いても外は真っ白なガスの中。山は全く見えない。諦めて昼寝と決め込んだ。

左【屏風岳、芝草平方面から】

【三日目:5日】

 4時半、夫の声で起こされた。外は快晴、昨夜も雪で辺りはキラキラ光る銀世界。樹氷がなんとも蔵王らしい。またガスがかかってはたまらないと方向をしっかり見定めて食事や準備を済ませ出発。北寄りに来ていたため方向を修正しながら杉ヶ峰に向かった。はじめからワカンを着けたが雪はしまっていた。二人の足跡だけがその白銀の世界に残っていく。振り返れば昨日歩いた屏風がその名の如く立っている。

 芝草平から杉ヶ峰に登り途中の雪原に立ってその風景を眺めているとき、私達の行く手から男性一人がやってきた。位置が離れていたので言葉は交わさなかったが、その人のアイゼンを着けた足跡のおかげで刈田峠まで楽だった。ここからワカンをはずし、ツボ足にする。雪がしまっていたので足はたまにはまるくらいだった。先程の男性が杉ヶ峰や前山に立ち寄った形跡はなかったが、私達は寄ってみることにした。分かりにくかった山頂に、薮をこいで入っていくと、山頂の標識が立つはっきりしたスペースがあった。行く先の刈田岳もこの時はまだ見え、気持ちの良い展望だった。

 前山を通過し刈田峠避難小屋をめざして下っていく。登山道はズボズボなので少しはずれ、トラバースしながら行った。エコーラインを走る車が目に入ったが、この時まではその存在をあまり気にしていなかった。刈田峠避難小屋は入口が雪で埋まっているためこの時点ではまだ中に入ることは出来ない。初日にここで泊まろうと思っていたのだが、順調でもテント泊であった。小休止した後ひと登りすると南蔵王登山口と書かれてエコーラインに出る。ここまではその他に出会った人もなく、静かな山行だった。

 さて、エコーラインを何回も横切るように刈田岳に登っていくことになる。予想外に車が多く、先ず横切るのが大変だ。そして除雪された車道とは裏腹に、そのサイドの雪の壁に圧倒された。料金所では道路を歩いちゃ駄目だよとクギをさされ、どうにでも攀じ登らねばならない。そこで初めてピッケルを出した。雪がしまってかたければいいのだが、ぐずぐずだとちょっとやっかいだなと思いながら注意して足場をつくり攀じ登った。車量の多い車道に滑り落ちたら大変だが、重いザックを背負って、そんなことをしている私達の姿は既に好奇の目に晒されていた。笑い声も聞こえたりして、「笑いものだな」とさすがに夫も苦笑い。ここで年輩の男性が一人ついてきた。途中から追い抜いて行ったが、次の車道を横切るときは諦めて、車道の方を歩いていってしまった。私達は忠実に?登山道を行く。どちらが早かったかは分からないが夏道が現れると間もなく刈田岳山頂だった。

 ガスがかかって展望はなく、車で来た観光客に交じって刈田嶺神社をお参りした後、レストハウスへ。御釜を見に来た人たちで賑やかだったが、ガスのため御釜もまた見えなかった。ここで昼食をとり、笹谷峠から出るバスの時間を確認。悪天で予定が狂ったため予定通り進むことは難しくなったためだ。7日はあくまでも予備日で、その日は出来れば自宅でゆっくり休みたいというのが夫の希望だった。 笹谷峠から関沢に下り、そこから出る山形駅方面行きのバス便は休日が休みとなっていた。GWのさなかも休みならば、熊野岳まででリタイヤ、もしくは自然園辺りから下山に変更せざるを得なかったが、土曜は出ると聞いて先に進むことにした。また、携帯が通じたので留守電をチェック。MLの高橋恵美子さんから入っていたので電話を入れた。宮城に帰ってきているということだった。

 ガスっていたため熊野岳方面へ向かう登山者は少なかった。逆から歩いてくる人は何人かいたがロープウェーのある地蔵山の方から来ている人が多いようだった。登山道は雪が少なかったが、ぬかるんでいて歩きにくかった。見通しは悪かったが山頂まで杭が打たれているので迷うことはない。避難小屋に登る時再び雪の斜面となった。小屋にザックをデポし山頂をピストン。晴れていれば展望が良かったのだろうに残念だった。小屋の所まで戻り、夫がフィルムを入れ替えている間に小屋を覗いてみた。扉の上の部分から中には入れるようになっていた。

 名号峰方面へ進むときもガスが濃かったが標識や杭があったので分かり易い。夏道と雪道の交じった登山道を下っていくとガスが晴れ、振り返るとガスがかかっているのは熊野岳山頂部分だけだった。なだらかな下山道の両脇には高山植物がいろいろと咲きそうだ。木の根の多い雪の登山道に足をとられながら行くのでペースがあがらない。しかし先行者や少し以前のトレースがあり、迷うことはなかった。行く手に雁戸山の鋭い山頂も見える。

 自然園は人工的な庭のようにすっきりとしていた。休むに丁度良さそうだ。ここも花の時期きれいだろう。自然園から名号峰への間はゆるやかな斜面をトラバースしていく。小高い丘のような所が山頂かと行ってみたが名号峰ではなかった。しかしそこからの展望は素晴らしかった。歩いてきたコースが一望でき、これから歩く山も、八方平の避難小屋も見通せた。座ってゆっくりながめる。

 ほとんどがトラバースになるため山頂もうっかり捲いてしまいそうだ。名号峰も素通りしそうになったので標識めがけて薮を分け入った。その甲斐あって、見事な眺めを味わえた。山々と宮城県側の展望、山形県側の展望・・ここは寄らねばもったいない。

 時は既に15時30分、テント場をどうしようかと思ったが、天気も季候も良し、この分なら避難小屋まで行けるかも知れないと頑張ることにした。ところがいくつか亀裂の入った雪庇を通るし、意外と距離があって、だんだんと夫の元気がなくなってきた。しかしテントを張るより居心地の良さそうな八方平避難小屋に惹かれてついに小屋に到着。既に17時半。前日の休息があったからここまで来れたのだろう。

 小屋には先行者2名と私達の計4名。広くて気持ちの良い小屋だった。設備も整って、ストーブまである。トイレもきれいだ。ガラス窓からは西日が差し込み寒くはなかった。やっぱり屋根が高くて動きまわれるのは良い。40名は楽に泊まれるだろう。同宿の男性は宮城の人だったが、その一人は神奈川にも住んでいたこともあったということで、次々と地名の話が合い、盛り上がった。世間は狭いものである。 

左【雲海】

【四日目:6日】

 朝日が出てきた頃起床。外に出ると雲海が見事だった。

 最終日の今日は歩く距離も短いのでのんびりと行くことにしていた。出発も彼等が出発してからで、7時。誰もいない小屋に御礼を言って、南雁戸山に向かう。ここでマンサクの花に出会った。今回初めて目にする花だ。間もなく、いきなり急斜面のトラバースだ。ここで刈田岳以来しまっていたピッケルを出した。アイゼンはここでも必要なかったが、ピッケルを持たない先行者の二人はそれぞれ4爪と6爪の軽アイゼンを装着していた。下を見ると震えがくるほどに切り立っている。オォーッと思わず上を向く。 慎重にトラバースしながら登って行き、早めに薮に入り登山道に入るとそこに雪はなかった。少し広くなった登りの途中で振り返ると今までいた小屋を覆い隠すように宮城側の雲海が入り込み、山形側へとこぼれ落ちていた。まるでナイアガラの滝のような見事な光景だった。かつて飯豊連峰でも見たことがあるが、今回これを見ただけでも来た甲斐があった。

左【雁戸山、南雁戸山より】

 夏道の南雁戸山山頂に立つと360度の展望。飯豊連峰から朝日連峰、出羽三山、鳥海山と見える。宮城側は雲海の上に近くの山々が飛び石のようにあり、雲海の向こうには太平洋が望めた。山座同定でアッという間に30分たってしまった。岩やガレた登山道を下り、一つのピークを通過した後雁戸山に登る。急斜面だが夏道なので心配することはない。途中キクザキイチゲがいくつか咲いていた。雁戸山山頂では雪にそれぞれイチゴとメロンのシロップをかけて食べた。「きれいに見えても汚いんだよ」と娘の声が聞こえそうだが、ドンマイ、ドンマイ。山頂の展望と、冷たくて美味しいかき氷を同時に味わうという、なんて贅沢な山行・・これだから止められない!ここで携帯の留守電をチェック。DOCOMOは通じ、恵美子さんからなんと「笹谷峠に向かい、反対側から登る」と入っていた。キャッ嬉しい、と思ったら続いて「雪が多くリタイヤしました」と入っていて残念・・・。折り返し電話を入れたら私達が下山するコースからもう一度行ってみるというコメントだった。楽しみに下山開始。ここでも30分以上ゆっくりしてしまった。

 雁戸山を下る頃には笹谷峠から登ってくる人が何人かいた。蟻の戸渡りは雪もなく心配するような痩せ尾根ではなかったが、登山道は随分荒れていた。まるで雪庇が割れ落ちようとするかのように、土の登山道にヒビが入っている。大雪の後遺症のようだ。前山を捲く辺りでは雪庇があるので注意が必要。

 カケスガ峰の手前の分岐で地図を確認。ペンションスイスのオーナーからポイント毎に丁寧なアドバイスを戴いて心強かったのだが、ここで笹谷峠から旧道を関沢へというコース取りを深く考えず、直接関沢へと向かう沢沿いのコースをとった。この辺りまでくれば雪も少ないし、雪崩の心配はないだろうと気楽に考えていたのだが、こちらへ下っているトレースはほとんどなかった。沢をしばらく下っていくと今度は急に落ち込んで先へ進めなくなった。そこから薮こぎで尾根へ登っていく。足下には思いがけなくショウジョウバカマがあらわれ慰められた。雑木林を登り切ると、はたして登山道があった。しかし大雪によると思われるが倒木が多く、登山道はかなり荒れている。それでも道があるというのは有り難い。ショウジョウバカマはずっと下まで咲いていた。おそらく笹谷峠からの方が一般ルートなのだろう、こちらはあまり人が入っていないようだ。踏みならされて、かつては大勢の人が歩いたようだが。

 高橋恵美子さんとは結局会わないままバス停に到着。13時5分発の20分前だった。連絡が取れないままバスに乗っていると恵美子さんから連絡が入った。「送るからバスを降りて下さい」と言われ慌てて下車。まもなく恵美子さんの車が到着。かくして無事ご対面。何よりこうして旅先で出迎えてもらえたのは感激だった。会うのは奥武蔵の伊豆ヶ岳、武甲山山行以来だった。お言葉に甘えて車を置いてある南蔵王キャンプ場まで送ってもらうことにし、一緒に食事したり、おしゃべりしたり、温泉に入ったりと、思いがけなく嬉しい出来事だった。白石ICで別れ、私達は一路神奈川へ。東北道も首都高も空いていて快調に帰宅。(恵美子さん有り難うございました。いつもお世話になってばかりですね)。

※ 温泉は恵美子さんご推薦?の小原温泉「かつらや」700円、露天風呂、シャンプーリンス、ボディシャンプーあり。
※ 今回のメニューは野菜あり、デザートありの、山にしてはグルメ山行。残雪がたくさんあって水には不自由しなかった。ただし燃料は多めに必要(雪を溶かすため)。
※ 12爪アイゼンを持っていったが結局使用せず。