14日夜半の激しい雨で、翌15日の山行はお流れだろうと暢気に寝ていましたが、7時ごろのんびり起きてみればアララ・・雨が止んでいるではありませんか!

 とある駐車場でしたから一先ず石和温泉駅へ移動して、トイレをお借りしたり、時刻表を確認したり、ラーメンを作って食べたり、またまた車を移動したり・・・汗;

 コースは要害山から大蔵経寺山へ南下、石和温泉駅に下ります。車は石和温泉駅近くの駐車場に移動、電車で甲府へ。石和温泉駅からの発車時間8時53分。
 甲府で積翠寺行きに乗りますが、この日午前は7:30、7:50、8:15発だけ。祭日は極端に本数が減っているようです。案内所で親切に調べていただき、ひとまず武田神社までバス。そこからタクシーで積翠寺に向かうことにしました。

 武田神社は武田信玄のお屋敷(躑躅が崎)があった場所。歴史的にも興味のあるところですが、今回はスルー。またゆっくり来ることにします。

 観光地なのでタクシーにもすぐ乗れました。


 積翠寺の裏手には信玄の産湯を浸かったという小さな井戸があるそうですが、時間も無いことですし、そこも通過して登山口までお願いしました。タクシー代は千円ちょっと。

 タクシーを降りて橋を渡ると史跡の説明書きなどがあり、今更ながら興味深く感じたのでした。
 新田次郎氏の『武田信玄』(全4巻)の書き出しには

 “晴信(信玄の元服後の名)は石水寺(現、積翠寺のことと思う)へ馬を走らせることが好きだった。ここは彼が生まれたところであり、武田の館のある躑躅が崎から、馬を走らせるに丁度よい距離でもあった。・・・”

 と、あります(上、記述のカッコ内はsanaeの注)。以前読んでいた本ですが改めて開いて見て今更にびっくり(@.@;


 要害山は貴重な史跡の残っている場所だそうで、国史跡の所定区域ということです。途中に文部省(現文部科学省)の石柱がありました。

 信虎、信玄、勝頼と続いて滅亡した武田家でしたが、この山城は滅亡後も修築、再整備され、それゆえこうして残っているようで、それも驚きでした。

 近くの博物館などにいったらもっと面白いかもしれませんね。

要害山復元想定図。
イメージしやすくなります。

 すぐ左手の坂が登り口でした。この側の積翠寺温泉は日帰り湯も入れるそうです。ここで雨だったら即温泉プラス武田神社の見学でしょうか(^^ゞ
【?】

【アキノタムラソウ】


 
 門跡、土塁、曲輪(くるわ)、竪掘跡(たてほりあと)、などがあった場所に丁寧にプラカードが挿してあります。お陰で分かりやすく、そこにはどんな暮らしがあったのだろうかといろいろ思いを馳せるのでした。

 曲輪とは居住用の建物や倉庫、防御用の施設などが建てられる平場だったそうな。山の斜面を宅地造成したような感じだったのでしょうか。

 お堀のある城は戦国時代から造られたそうですが、砦としての山城は既にこうしてあり、それゆえ堅牢な門が幾重にもあったのだということが頷けました。
  不動曲輪。大きな武田不動尊ですが、これは江戸時代後期に建てられたもの。当時はここにも住まいか倉庫か分かりませんが、何か建っていたのでしょうか。広場になっていました。
【オケラ】

【オケラ】


オケラやゲンノショウコ、もしかしたら
その昔信玄も漢方として薬にしたのかもしれません。
500年近くも昔のことですが、そんなことを
身近に想像するのも楽しいことでした。

ここにも門跡。
時間がタイムスリップして当時に飛べたらと
ついつい思ってしまうのでした。

でもたちまち捕らえられてしまうのでしょう(^^ゞ

スクリーンのようにいろいろなことを想像してしまいます。



 ここも曲輪。門跡もまたかというくらいあります。厳重に管理された生活がうかがえます。
 「トシエモンさま〜待ってくだされ〜」
【ノササゲ?】

【ミズヒキ】


 これは食材に・・・・って食べられるのか?

 キノコがあちこちにニョキニョキ!

 水汲みなど大変だったことでしょう。山道でなく生活通路だったのですから。
【シモバシラ】

【ソバナ?】

 妄想にひたり、花々に癒されながら最後の門跡に着きました。

 広々とした要害山山頂。信玄の父信虎が1520年に建てた要害城の跡。信玄誕生の地と大きな石碑が建っています。
 今では山梨百名山の一座。

 現代っ子(現代に生きている人みんなネ(^_-)-☆)のモラルを訴える山看板もあったりして、こんなの見たら信玄はどう思うのだろう?^_^;

 カエルだけに「こんなゴミは持って帰れ〜」って?^_^; それとも「これ(鉄板)何かに使える?」なんて言うのかな・・・^_^;

妄想は限りなく広がり、
ここで遊ぶ幼い信玄を想像してみたりして
要害城跡を後にします。

 「トシエモンさま〜待ってくだされ〜」
【ゲンノショウコ?】




 整備され気持ちのいいハイキングコースです。しばらくは・・・
 素敵な樹林帯が続きます。ということで見晴らしはありません^_^;

 でもいろいろなお花が目を楽しませてくれました。意外なお花も数多く見られ嬉しくなりました。

【コウヤボウキ】

【クサボタン】


 天気予報はあまり良くなかったのですが薄日が射してきました。




なっ!なにっ!


要害山の主は微動だにせず、アッパレ!

怖かったよ〜・・・(~_~;)

秋の気配もありました。


 分岐です。標識が下に落ちていました。
 ホントはこうなるのでしょう。

 深草観音方面に向かいます。


 うん、間違いない。要所では地図で確認!
 針葉樹林帯になりました。
【ヤマジノホトトギス】

【マルバハギ】


 苔むした場所もあります。いろいろな表情を見せてくれるルートです。

 お水、それほど冷たくなかったようですが、美味しかったそうです。私は飲物を充分持っているときは飲みませんが・・・
 現在地を確認。GPSを持ってくればよかったかも・・・
【フシグロセンノウ】

【キバナアキギリ】

 分岐。近くに住んでいればいろいろなルートが楽しめそうです。我らは深草観音、岩堂峠へ。
 またまた過去に引き戻されそうなロケーション。

 大きな岩屋のようです。
 石仏がそこかしこにありました。信仰の山であることが分かります。そういえば山梨は寺院が多いですね。タクシーの運転手さんにおおよその総数を聞いてビックリしたのですが、いくつだったか忘れてしまいました^_^;

 水場がありました。此処では私も飲んでしまいましたがお清めのお水でしょうか。
 少し登ると両脇に灯篭。厳かな雰囲気です。





ということで深草観音ですが、
いきなり岩穴へと続く鉄パイプのハシゴです。



ハシゴの両脇にはいくつもの観音像


ハシゴは揺れて怖そうですから
奥の鎖つき階段で昇って行くことに・・


 道なりに行くと穴が・・

 何々・・・と好奇心!



 凄いところに来てしまった!

 お参りして記帳してきました。


 ハシゴを登ればここに来るんですね。

 ここから下りる気はしないので同ルートを戻ることにします。

観音様、とても穏かないいお顔です

 実はこんなに小さい。

 湿り気のある岩場のようで、岩肌にはイワタバコがたくさん茂っていました。花の時期はさぞや見事なことでしょう。
 分岐に戻り、再びコースへ。

 通称岩堂峠。ベンチがあったので休憩。ここは兜山への分岐でした。今回兜山もリストアップしていたので地図も持ってきていたのですが、また次回のお楽しみ♪
 相変わらずの巻き道ルート。国土地理院の岩堂峠は少し位置が違うとガイドブックに書いてありましたがはて?どこだったのだろう?分かりませんでした^_^;
【アキチョウジ】

 セキヤノアキチョウジかと思ったのですが、調べてみたらアキチョウジのようです。白い花はシモバシラ。

鹿穴(ししあな)の三角点も踏み跡があるようですが、
気がつかず捲いてきてしまいました。
というか、遅い登りはじめで時間もありませんから
はじめから登る気が無かったりします^_^;

そして此処が重要なポイント!
鹿穴南分岐です。

此処にはなぜか大蔵経寺山への道標がありません。
気付かず道なりに行くと右へ進み、
武田神社方面へと下ってしまいます。

大蔵経寺山へは左折。
南東へ延びる尾根へと進みます。
要地形図確認です。



角に立っている鹿穴分岐の道標
大蔵経寺山への標示がありません



ここでお昼休憩。
見晴らしが良い訳でもないのに
地図を見ながら何故か標識の話でプチ盛り上がり、
なんと1時間近くものんびりしてしまいました(^^ゞ

そうそう、トシちゃんが足に熱いコーヒーをこぼして
慌てふためいてました^_^;
冷えているペットボトルで冷やしたので
大丈夫だったようです。
凍らせたペットボトルが役立ちました(^^ゞ

 そして南東の尾根に進みます。

 倒木・・・この程度はまだ許せます^_^;
 三つ子ちゃんのキノコ♪




わぁ!なんて激しい動き!
腰の曲がったおじいさん(おばあさん?)が
いきなり甦ったようにすっくと上に伸びているようです。

さもなくば中国雑技団のようなバランス感覚!


 かなり草に阻まれた登山道。
 小ピークのアップダウンが続きます。

 のびのびしている樹林帯。はい、ちょっとお邪魔しま〜す。

 先頭は露払い、蜘蛛の巣払い・・・ストックをクルクル回しながらの前進です^_^; それでも顔に蜘蛛の巣が・・・
 コウヤボウキが押し寄せる波のよう。

 大勢の人に歩かれているとは思えないルートですが、突然、字深草山と書かれた石柱。
 葉に張り付いたようなコレは蝶?

 辛うじて踏み跡がわかるような荒れた登山道ですが、要所にはテープや標示がありました。つけ過ぎでしょうと思うくらいですが、このあともまだまだ不鮮明な登山道でしたので、コレがなかったら不安に思ったかもしれません。
 山梨百名山をつなぐ稜線ですが、登山道整備までは手が回らないのでしょうか。

 これを面白いと思うか、嫌だと思うか、好みの分かれるところかもしれません。


 大蔵経寺山まであと20分。コレだけ立派な道標があるのだからもう楽勝?なんて思っていたら・・・ 
 倒木!いく本かに遮られてました。

でもこんな可愛いキノコも。
まるで石膏でつくった芸術品のようです。
スィッチを入れたら灯りが点きそう(^^♪


 まるで行き倒れ・・・汗;
 モノトーンなキノコ

大蔵経寺山山頂


ですが、なんてことない登山道の途中に
その標柱はあったのでした。
振り返った方角の方が標高高そうです。



 小休止して出発しますが、此処で気が緩んだせいか、地図を確認せず。歩きやすそうなルートをそのまま進んでしまいました。

 結局左側の大蔵経寺へ直接向かうルートでした。大蔵経寺の名が付いた山ですから寄ってみたかったので構わなかったのですが、倒木が多く結構荒れていました。

 未確認なのでわかりませんが、右側のコースの方が歩きやすいのかどうか?


通り道です^_^;

 


 ホットケーキみたいな大きいキノコ
 道を示してくれるのは赤テープ。

コレも乗り越えて・・・
 こちらも乗り越えて・・・

 イチローな気分です(^^♪

 (余談ですが苦難もプレッシャーも乗り越えて、8年連続200安打を達成したイチロー選手素晴らしいですね。メジャーで107年ぶりの快挙だとか!大拍手♪)






 登山道ですが草ぼうぼう・・・
 林道に出ましたが、車が入れる状態ではないようです。もっとも下の方には猪の防御フェンスがありますから一般車は入れません。

石和温泉の町並みが見えてきました。
駅のホームもみえますが、遠望はガスっています。

 どんだけ〜って言うくらいまた倒木。これはもうくぐりました^_^;

 イノシシの防御フェンス。

 作物や身を守るためだったりなのでしょう。

 イノシシには山で2,3回遭遇したことがありますが、幸いケガは免れています。

 (又余談ですが、この17日に、有名な世界的登山家の山野井康史さんが奥多摩=自宅の近くの山=でジョギング中、子連れの熊に襲われ重症だそうです。身近な山なのでビックリしました。かなり里の方まで下りてきているのですね(~_~; 気をつけましょう・・・)
 フェンスから左へ道なりに下ると大蔵経寺でした。ごく普通のお寺さんでしたが歴史は古いようです。お寺から見た大蔵経寺山は左側の方のようです。

 ところで今回のコースでは誰にも出会いませんでした。マイナーなルートなのかもしれませんね。静かな山歩きが好きな方にお薦めです。


矢印のコースを歩いてきました。


石和温泉駅に向かう途中から。
大蔵経寺山は左側奥。

  温泉はみかさの湯。5時以降500円(通常700円)。食事も済ませてから中央道へ。渋滞30〜25キロだったので最初のPAで仮眠してから帰宅。

奥秩父:要害山〜大蔵経寺山(共に山梨百名山)
(ようがいざん780mクリック地図 ・だいぞうきょうじやま715.6mクリック地図

 この連休の過ごし方の流れで、今回は全て山梨百名山に決めてみました^_^; 山域は奥秩父主脈の最南端ということで奥秩父としましたが、山梨百名山では八ヶ岳・秩父山系に分類されています。武田信玄生誕の地という要害山からの縦走は気楽なハイキングかと思いきや、人によっては好みが分かれそうな渋いコースでした。
 H20年9月15日(月)
  天気;晴
  Member.2人(トシちゃん、sanae)

【コ ー ス】(〜は歩、休憩時間含む) 
積翠寺登山口9:50〜要害山山頂10:32-45〜深草観音11:58-12:18〜鹿穴南分岐13:10-14:02(昼食)〜大蔵経寺山山頂15:30-47〜石和温泉駅17:00頃

↑ 要害山山頂:武田信玄生誕の地