天子山塊・竜ヶ岳(山梨県)(りゅうがたけ1485m)

 賑やかにキャンプ&山歩き
 不安定な天気で麓にいながら
 富士山を望めず残念

 H16年7月25日(日)
  天気;曇りのち一時雨
  Member.8人(石川family3名、石原family5名)

右写真【竜ヶ岳山頂で】


 【コ ー ス 】(〜は歩、休憩時間含む)

本栖湖キャンプ場(900mくらい)7:00〜休憩(合流)8:15-25〜竜ヶ岳山頂(1485m)先頭9:20着(最後尾9:45着)-10:15出発10:45〜休憩11:40-50〜本栖湖キャンプ場12:20
(標高差約585m、所要時間約5時間20分くらい・・休憩含む)


左【本栖湖湖畔で】 前日に本栖湖キャンプ場へ向かい、久しぶりにキャンプをし、翌日みんなで近くの竜ヶ岳に登った。キャンピングカーは廃車となって初めてのキャンプだったが、石川さんと我が家の乗用車2台にいろいろとキャンプ道具を積み込み、久しぶりのキャンプらしいキャンプだった。

【左下:お食事  右下:お手手つないで】

   

 5歳(ほのか)、4歳(祥太郎君)、2歳(ゆきの)の3人のうち、キャンプを経験しているのはうちの上の孫娘だけだったが、三人ともみな楽しそうで良かった。人見知りする孫達が、同じ年頃の祥太郎君とすぐ仲良くなって、ママはびっくりしていたが、これがアウトドアの良さなのかもしれない。一緒に蝶々を追いかけたり、松ぼっくりを拾ったり、湖畔で遊んだり、一緒にカレーやブドウを食べたり、花火をしたり、テントで遊んだり・・・。テントで寝るという初体験も面白がっていた。

左【出発】

 翌日はいよいよ山登り。子供達も早くに起きて、寝ぼけ眼で朝食。テントなどはそのままにして片づけを済ませてから出発した。夫は二歳の孫娘担当で背負い篭を背負い、はじめこそ軽かった。意気揚々と歩き出して間もなく、私が眼鏡をつけていないのに気がついた。あれ?と思いつつ、皆に先に行ってもらい私だけ炊事場へと引き返した。顔を洗ったとき置いたままかもしれない。しかし炊事場にもテン場の置きそうな所にもなく、忘れ物として届いているかどうか管理棟の方にもまわってみた。しかしまだ開いていなかったため、そのまま皆の後を追い、登山口へと向かった。

【下:その頃みんな元気に登っていた】

   

 最後に眼鏡を置いた場所を思い出したのは、登山口からいくらか登り始めていたときだった。戻るにはあまりに皆と離れすぎるし、そのままでも心配はないだろうと安心してそのまま登っていった(下山後確認無事回収、車の側に落ちていた)。すぐ追いつくだろうと思っていたが、なかなか姿が見えず、子供達の声も聞こえない。もしかしたら皆私を待っていて、私が別ルートから行ったため先行してしまったのだろうか?前を見たり、振り返ったりしながら、歩いたことのある夫がいるから大丈夫だろうと思いつつ先へ行くことにした。

 コアジサイや山百合、ヤマオダマキなど眺めながら、1時間もするとベンチのあるピークに着いた。休憩していればそんなに早く進む訳がないと思っていた。だからそこに皆が居なかった時点で、私が先行しているのは間違いないとほぼ確信していた。そこで皆を待とうかと迷いつつ、やはり山頂へ行って確認してから迎えに戻ろうと、ポカリを飲んでからすぐに先へと進んだ。ところが・・・歩き出して15分ほど行ったところで下山してくる二人の男性に会った。挨拶したとき「後ろから来る子供連れのグループに私が先に来ていることを伝えてください」と頼んでみた。快く引き受けて下さったが、そこから歩き出して数歩上に、その皆が休んでいた。慌てて依頼した二人に「ここにいました」声をかけた。

左【やっと休憩、やっと追いついた!】

 のんきに「おばあちゃんは山でナンパしてるよ」なんて教育上よろしくない(と言ったって子供達にはわからないか・・)ジョークを笑いながら飛ばしている夫だった。それにしてもこんなところまで来ていたなんて、びっくりしてしまったが、なんとそこが初めての休憩だという。「みんな頑張って思ったより早かったよ」と自慢げに言う夫だった。「え〜っ!体が小さいからこまめに水分補給と休養をとらなければいけないのに・・・」。「えらいね〜」と子供達を誉めつつ、なんて無謀な・・と可哀想に思った。忘れ物をして一緒に歩けなかったのを悔いたが、子供達は早くも元気を回復し、にこにこと私を迎えてくれるのだった。休憩していた場所はいつもなら富士山のビューポイントでもあったのだが、昨日に続いて今日もガスがかかり、富士山は全く見えなかった。みんな頑張って登ってきたのに残念だった。でも涼しかったのでかえって良かったかもしれない。だからこそ子供達もがんばれたのだろう。

左【一緒に歩き出す。】

 そこからは一緒に登り始めた。前方のピークめがけて進むたびに、ガスがかかったピークが先に薄ぼんやり見えてくるという失望を、何度味あわせられる山だとみんなが思ったに違いない。それでも山頂を目指して歩くという、あるいは目的に向かって進むという気持ちを、小さな子供達もしっかり意識するのだからすごい。今まで知らなかったお友達が一緒というのも励みになっただろうし、親の頑張っている姿も子供心によく分かっているのだろう。たまには「まだぁ〜?」と情けない声でぼやきつつも、親に頼れない現実を受け止めて自分の足で歩いている姿は頼もしくも思える。

左【ゆきのはマイペース】

 上の子はママと一緒に頑張って歩き、石川さん一家も続いた。夫にはお湯を沸かしてもらうため私と荷物を交換し、途中から先に行ってもらった。しんがりは下の孫娘と歩く私だった。登りではホンの少し背負い篭に乗って夫の背中で寝たらしいが、この時はのんびりペースでおしゃべりしたり、歌を歌ったり、立ち止まって枯れ木を拾ったりしながら元気よく自分で歩くのだった。段差のあるところは抱いてひょいとのせてあげたのだが、そのうち「あるくからね」と言って、自分でよじのぼり、私が抱いてあげると「(自分で)あるく」と言う。何度も「背負ってあげる、おばあちゃんの背中においで」と言うのだが、その度に自分で歩くという。そして「お山にいくの」とニコニコしていた。時々ポカリを飲ませながら登っていった。風が吹いてくると私が言うより先に両手を広げ「あぁ、きもちがいい」と言うのだった。登りでは、疲れないかと心配になるほどずっとおしゃべりしていた。あと4ヶ月ほどで三歳だが、ちゃんと会話になるのだから女の子の成長は早い。

左【山頂で】

 先に着いた上の子達から遅れること約25分ほどでようやく山頂着(ほのかも祥太郎君もよくがんばったね!ママ達もよくがんばった?!(^-^)v)。しかし山頂はガスがたちこめて富士山はもとより周囲の展望もまったく望めず。そんな中みんなで記念撮影をし、沸いたお湯でカップラーメンを作って食べた。もし暑かったらどうしようかと思いつつ、暑くてもラーメンなら美味しいだろうと持ってきたのが、今回は寒いほどで熱いものにして正解だった。ラーメンやコーヒー、スープで体が温まり、キュウリやプチトマト、チーズ、ソーセージ、漬け物などの他にデザートはぶどうやゼリー。お天気が良ければもっと盛り上がっただろうけれど、それでも子供達は走り回っていた。一番元気が良かったのは祥太郎君。おかげで孫達もがんばれたのだろう。

左【元気もりもり下山です】

 展望が得られぬままに下山を開始。頑張って歩いた下の子のゆきのだったが下りではやはり疲れが出ていた。背負い篭は嫌だというのでしばらくは私が抱いて歩いたが、そのまま眠りそうだったので、嫌がるのを無理矢理夫フ背負い篭に乗せた。はじめは嫌がって泣いたが、歩き出すとすぐに眠ってしまった。よほど疲れたのだろう、下山するまで起きなかったようだ。

 いち早く上の子が雷の音に気がついた。間もなく雨が降り出し、雨具を出して歩くことになった。土砂降りにならず雷も遠かったので幸いだったが、後からのニュースによれば各地で落雷の被害があり、犠牲者が出たようだった(ご冥福をお祈りいたします)。

左【最後の休憩】

 また、登りで孫達が夫について一生懸命歩いたのもこうして思えばラッキーだったかもしれない。辛かったかもしれないが、少しでも早く登れたから下山時の雨も少しで済んだ。東屋を通り過ぎ、ベンチのあるピークで一休みした。それでもゆきのはおじいちゃんの背中でぐっすり。休んだあとは、急いで下山した。下山路は雨で濡れるということもなく乾いていたが、砂利があるので滑りやすかった。山道に慣れていないママが滑るので、自分で歩くと繋いでいた手を離し、ひとりで歩き出した上の子のほのかは用心深く歩いていた。皆山用の靴を持っていないので、私達も今回はスニーカー、そして私は珍しくキャンプの時と同様、山には向いていないジーンズだった。

左【もうすぐ到着、まだまだ元気】

 登山口に着き、あとはキャンプサイトへ平坦な道を行くだけとなったときはホッとした。先に着いていた夫は片づけ始めており、その傍らのイスにゆきのがフリースにくるまれてちょこんと座っていた。私達を見ると嬉しそうにニコニコしていた。子供達を着替えさせ車に乗せてから一斉に最後の片づけを済ませ、この後は温泉に入らず渋滞する前に帰路についた。片づけが終わる頃には雨はやんでいた。16時には自宅に到着。荷物をおろし、写真を見たり少し話をしたあと石川さん達も家路についた。みなさん、お疲れ様でした。