奥秩父;唐松尾根〜唐松尾山〜前飛竜〜熊倉山
(からまつお2109.2m〜まえひりゅう1954m〜くまくらさん1624m)
   ナイトハイクを体験

 H12年4月29-30日(土日)当日発
  天気;両日快晴 :
  Member.9人(今井、亀井、平、中山、畦蒜、大澤、柳、紙戸、石原)

【サオラ峠で】右

 【コ ー ス 】
(〜は歩、休憩時間含む)
29日
新地平バス停(1040m)9:00〜雁峠(1800m)10:30-55〜笠取分岐〜(唐松尾根)〜唐松尾山山頂(2109.2m)14:05-25〜将監峠(1800m位)15:30(テント泊)
(所要時間約6時間30分・・休憩含む)

30日
将監峠0:45〜飛竜権現(2040m位)4:00-6:00〜前飛竜(1954m)6:40-8:15〜熊倉山(1624m)9:15〜サオラ峠(1400m)9:40-10:10〜丹波バス停11:40(奥多摩駅行12:02発)
(所要時間約11時間40分・・休憩、ビバーク時間含む)


 今回はナイトハイクをするという面白い企画だった。山行といえば明るい内に行動するのが基本だが、やむを得ずヘッドランプをつけたまま行動せざるを得ないときもある。又、いざという時のビバーグ体験もしてみようというリーダーの熱意がメンバーの胸に熱く伝わった?。そういう非常時に備えての訓練と受け止めて(という意図があったかどうか知らないが)、その奇抜な計画に、本音は面白そうという好奇心旺盛の面々がなんと9人も集まった。リーダーの人望と信頼感があればこその今回のパーティは、20代の若者から40代後半の自称若者まで、男6名・女3名の物好き(としか思えない)だった。

 早朝5:30に自宅出発。睡眠不足を長い車中で補い、塩山で全員合流。タクシー2台に乗り合わせて新地平へ。共同装備を分担して歩き出したのは9:00少し過ぎだった。40分に1回くらい休みながら長く緩やかな林道を歩いて行く。一番元気のよいのは最年長者(といっても私と同年)だった。軽やかにピッチをあげてどんどん先に行ってしまう。休憩場所まであともう少しと聞いた途端、早く休みたい一心で、その人参めがけて猛然と足を早めたというのが実状か?若者の荷重に対し、もしやとみんなで荷物チェック・・・チョット軽いんじゃないの?と言うメンバーの目が優しい。なんと頼もしい仲間よ。

 出会うのは釣り人(2組)ばかり。登山道に入るとやや傾斜がつくが、きついというほどではない。しかしすいすい登るメンバーについていくのは大変だ。皆の若さが眩しい。小柄な若い女性が先頭、二番手は身長190センチ以上もある。ただでさえ見上げる人なのに登りの時の目の前の190センチ台はオォーという感じだ。スポーツマンでスラリとしているが背中の60-70・のザックがなぜか小さく見える。

 水場を過ぎると雁峠だ。広々としてベンチが5つほどあり、休憩場所に 丁度良い。目の前に見える笠取山がなんとも可愛い。一人が「昔話に出てくるような山」とうまい表現をしていた。可愛い感性だ。「空は真っ青で爽快な気分だが、白い雲の流れの早いのが気になった。休んでいると少しずつ寒くなる。近くの雁峠小屋のトイレは傾いていてチョット恐いが使用可。リーダーからこの小屋の二階に女性のお化けが出るそうだと脅されるがそれもまだジョークに変わる時間帯だった。ここで雁坂峠方面へ向かう若者6人位のパーテイに出会った。

 私達は逆の笠取山方面へと向かった。登山道に凍結した雪がまだ残っていた。笠取山頂に大勢の登山者のいるのが見えたが、多摩川・荒川・富士川の分水嶺から笠取山を回り込みながらミズヒ方面へと向かう。今回賑やかだったのはこの山頂辺りだけだった。この辺りから行動しやすいようにメンバーが二手に分かれることにした。4人と5人のグループに分かれ私は一番手の4人グループに入った。こちらで良かったと思った一幕が実はナイトハイクの最中に起こった。

 私達は唐松尾根へ向かい、終始静かな山行を楽しめた。唐松尾根はシラベ(シラビソの変種だそうだ)やモミなどの針葉樹や広葉樹が豊かで歩いていてとても気持ちがいい。水量も豊かなのだろう、苔蒸した樹林帯に涼やかな風が渡り、来て良かったと思った。しかし途中崩壊部分が2カ所ほど有り、注意が必要だ。リーダーの指示により一人一人渡ることとし、他の者は落石の様子など危険に気を配り、歩いているメンバーに様子を伝える。しかし我がメンバーの先頭がちょっと足を滑らせた。大事には至らず足を擦りむいただけだった。次は私だった。何とか無事通過。次々と渡り、後続のパーティにはリーダー同士が無線で様子を知らせ常に連絡を取り合う。これも「無線は大切」という認識を各メンバーに持たせるためのリーダーの配慮だった。

 緩やかだが小さなアップダウンをうんざりするほど繰り返し、シャクナゲの木が現れてくると間もなく唐松尾山だった。今回の山行の最高峰(2109.2m)だ。蕾がまだかたいが、シャクナゲの咲く頃はとてもきれいなのだろう。展望はないが静かな雰囲気の良い山だ。山頂には手彫りらしい看板が木にかかっていた。これはもしやと裏返すと、まさに噂に聞いた、ある個人の手作りの看板だった。山名と標高が書かれていた。そして裏にはマジックで日付と記名がある。しみじみと眺めてきた。確かに噂に聞いたとおり、マイナーな山にかけているのだなと実感。メンバー以外、誰一人出会うことのなかった山中で、妙に人の存在を感じた。

 後続パーティと合流していっとき賑やかになった山頂を後にして、ふたたび歩き出す。ここだけは歴史も変わっていないのではと思える雰囲気を楽しみながら下っていく。ここを既に四半世紀歩いているというリーダーの思いというか、こだわりが伝わってくる。

 やがて和名倉山(白石山)の分岐になり、ここでそちらからの下山者一人(男性)と会った。メンバーの何人かは数カ月前に登った山だが、私はまだ登っていない。いつか行ってみたいと思っているが今回は当然見送る。そしてなだらかな笹原が広がりそこで昼寝したい気分にさせられる。たしかその辺りだったと思うが数名の若者が線香を持って立っていた。かつて学生が心臓発作で亡くなったそうで、どうやらその慰霊に来ていたらしい。私達も帽子を外し手を合わせる。日付によると25、6年前のことだそうだ。子を持つ親としてこみ上げるものがあった。

 そんな感傷にひたっているうちに将監峠に着いた。テン場はさっきの若者達のらしいテントがいくつか張ってあった。ここが賑やかなのは珍しいらしい。我々が再び出発するのは夜中になる。彼等を起こしては行けないと思い、テント場から少し離れた上の方に幕営しようとリーダーが小屋番さんに交渉したが、やはりテント場にということになった。準ビバークのような今回のプランだったので、当初はツエルトの予定だった。しかしテント泊初体験のメンバーもいたため、主に2〜3人用のテントに変更されていた(ツエルトは結局リーダーのみ)。

 テント設営後夕食の用意。水が豊富にあるので助かる。サブリーダーによる献立はいつもながら豪華だ。みんなで持ち寄ったものでできたものはツナサラダ(海藻、野菜入り)・肉団子入りの春雨スープ・山菜おこわ(アルファ米)・デザートにババロア・そして各持参のアルコールとおつまみ等々。

 そして私達女性は7時には就寝。鹿の鳴き声に目覚め、深夜12時には起床。打ち合わせ通り黙々と片づけや準備をし、予定の一時より少し早めに出発、いよいよ今回のハイライト、ナイトハイクが始まる。

【ナイトハイク】
 その区間は将監峠から飛竜山直下の飛竜権現まで。それぞれ首から笛をぶら下げ、頭にはヘッデンをつけて、まず私達の4人グループが先に出発。リーダーの早いピッチに合わせるのは少々辛かったが、一応紅一点の私のペースにダウンさせてもらい、その後ろからついていく。稜線に添ったコースに出たところで先頭を交替、先ず私が先頭になっていく。始めは足下を見ながらやや緊張して歩いたものの、パーティの強み、不安は全くなかった。ときどき笛を吹き、熊が出てこないようこちらの存在を知らせる。目を覚ましてこないでよ・・といった感じだったが。真っ暗な中で目や耳、神経が研ぎすまされた感じだった。しかし、鳥が鳴けばリーダーの説明が聞かれ、休憩して見上げた空の星の輝きを見ればかつて天文少年だった人の解説があった。鳥の名はたしかトラツグミ。夜空には自宅からでは見られない星の数に戸惑ったが、蠍座や白鳥座、天の川そして流れ星まで確認することができた。知識豊富なメンバーに恵まれ幸せであった。休憩しながらライトを消し、ゆっくり眺めた。こんな時、人は童心に戻るというか、ちょっとしたいたずら心が芽生える。かつての天文少年がそっと離れていき、木陰に身をひそめた。私達の視界には既にない。声をひそめて待つこと数分・・・

 可愛い悲鳴が聞こえた。そして双方のグループに笑いがおこる。リーダーがとぼけて?無線で連絡をとる「どうかしましたか?」と。木陰に隠れライトを顔の下にあててヌゥッと躍り出た天文少年熊に驚いた後続パーティの先頭は、気の毒なことにまだ初心者の女性だった。半ば心配し、半ば期待した被害者だったかも知れない(ごめんね)。もちろん滑落しないように、安全な場所での出来事だった。彼女は当然のことながら、かなり驚き、座り込んでしまい、涙を流したとか?でも本物の熊でなかったことにホッとしたことだろう。こんな遊びも交えながら更に先へと進む。

 と、思いがけなく登山道に雪。しかも時間が時間だけに凍結している。例年ではこの時期雪はもう残っていないということで誰もアイゼンを持ってきていない。注意して進むためそこでかなりペースダウンした。何人かがツルツル滑ったが、大事には至らずなんとか目的の飛竜権現に到着。そこでツエルトを出しビバーク体制に入る。寒いながらもウトウトし始めたとき、後続パーティが到着。30分くらいの差が開いて既に明るくなっていた。改めて全員がツエルトを被る。ビバーク体験をすることも今回の山行の目的だった。座ったまま寝る(休む)というのは辛いものがある。しかし寒い中ビバークせざるを得なくなったとき、ツエルトは必需品だと痛感。私の場合テントを持たないとき、ツエルトは持ち歩くようにしているが、このように使ったことはまだない。良い体験学習だった。

 2時間ほど休み、ここからは全員一緒に行動。明るくなった山道を下っていく。前飛竜まで来ると上着を羽織らなくても暖かくなっていた。そこでゆっくり朝食。全員共同食で雑炊をつくって食べた。みんなでいろいろな出来事を思い出しながらの愉快なひとときだった。

 熊倉山、サオラ峠、丹波へと行く道は深夜歩き続けた体にはやはりきついと思った。夜行動することの効率の悪さを身をもって知ることも今回の目的の一つということだった。

 温泉は取りやめ、奥多摩駅の近くで反省会を兼ねて食堂で昼食。面白体験の話題はつきなかった。それにしてもバスや電車内では眠かった。