中央線沿線; 倉岳山
(くらたけやま)
山道にはシュンランが咲き、春の息吹。

 H6年3月28日(月)当日発 ;
 Member.計4名

 【コース】(=は乗り物、〜は歩き)
鳥沢駅(317.1m)8:30=石仏9:15〜高畑山山頂10:35-11:30〜穴路峠(850m)12:00〜倉岳山(990.1m)12:30〜立野峠(810m)13:00〜梁川駅(280m)16:35着17:05発=高尾駅17:44

 しょっぱなから寝坊という大失敗。起きたときが南武線の発車時刻だった。着替えながら車!と頭に思い描くが遅れても電車のほうが早いと断念。子供たちのお弁当は買ってもらうこととしてお金を置き、私は出来ているものだけ詰めて後は途中で買うことにした。30分遅れて電車に乗り、その間も皆さんがびっくりするだろうなと心穏やかではなかった。

 立川では私のミスで更に1本乗り過ごしてしまい、こんな時はこんなもんだとまたもや『マーフィの法則』を思い浮かべる。皆さんに申し分けないと思いつつ、間違いなく三人で先に行ってくれているだろうと信じていた。タクシーがあれば乗ってもいいし、歩いたとしてもお昼までには追い付くだろうと。そう思うとその場面が想像されて、たまたま通渦中のトンネル内の車窓にはもう私の笑みが映っていた。

 鳥沢の駅に到着して私は我が目を疑った。これだけ(約50分)遅れているのにメンバーの姿が目に入ってきた。そのほんの数秒の間に、まさか!なぜ?どうして?と複雑な気持ちが交錯した。どっしりと錘が乗せられた様な、ふっと空に持ち上げられたような、気持ちだけがあっちこっちウロウロしていた。それでもそんな心の戸惑いをよそに、朝の挨拶とお詫びは口をついて出る。私の片付かない内面とは裏腹に、メンバーは既に対策を講じてらしてタクシーで行けば30分かせげるからと、身はそちらに自然に流されて行った。「始めから四人の方が良いから」と言う言葉につくづく申し分けなかったと思うと同時に、温かい気持ちも十分感じられた。私の「もし遅れたら先に行っていて」という言葉は空手形になってしまったが、その気持ちは今も変わらない、でももし私が逆の立場だったらやはりこのようにしたのではなかったか。

 さて、今回は倉岳山のポピュラーなコースの予定だった。普通なら遅れたぶんコースの縮まるのが普通である。ところが全部とまではいかないまでも、多少タクシーで時間が稼げたこともあって、高畑山へ回り道して行って見ようということになった。今回は逃げ道がいくつかあるということで十分可能、即実行。

 この変更は正解だった。全コース通して高畑山頂からの景観が一番素晴しかった。正面に真っ白な富士山、真っ青な空、次回行こうと思っている御正体山を始め丹沢山系がくっきりと浮かんでいる。うっとりと眺めながら早めの昼食をそこでとり、満足した思いで次の倉岳山へと向かった。 

 この尾根伝いは驚くほどに春蘭が多かった。早くもつぼみをふくらませ、奇麗に開いているものもあったりしてどんなに嬉しかったことか。イチヤクソウの咲く時期にも来てみたいほどに、その数も多かった。そして今回初お目見えのウメガサソウ(やはりイチヤクソウ科)というのを教えていただいた。もち論花はまだ咲いていないが図鑑で見たら白くて、去年大菩薩で見たウメバチソウに似ていると思った(葉に違いがあるが)。黄色いダンコウバイの花、やや黄緑がかったアブラチャンの花は、まだ葉の出る前の束の間の楽しみ。木肌が鱗のようで珍しかったアサダという名も初めてだった。初めて聞く名にアベモチというのもあったが図鑑になかった。聞き違いだろうか。

 倉岳山の視界はあまりよくなかった。先に通りすぎて行った方々がここで昼食をとっていらしたが、気の毒に感じてしまった。

 私たちは早々に下山。この後三つ四つアップダウンを繰り返したが、最後の舟山は思いがけなかった。手前で下山路に向かうとばかり思っていたものだから、何となくやり忘れた宿題をやらされているような、うんざりした気持ちだった。私たちが一息ついている間に最高歳82歳、平均70代というグループを見送り、前後しながらも最終的には彼等が一電車前になってしまった。ゆっくりした歩みだったが山歩きは慣れているようだった。あの位まで元気に歩き続けたいものだ、とは私たち全員の一致した気持ち。頑張って歩き続けましょう。

 予定より一電車遅れただけで、済んだのは素晴しい。私が遅刻し、コースを伸ばして後は予定通りを進みながら、何という充実感。皆さんに改めてお礼申し上げます。

       “来ぬ吾を微笑みて待つ仲間こそ光まばゆき富士の白嶺”

      “うつむきて青き春蘭咲く尾根にダンコウバイの花のひとひら”