珍しくガイドブックを手に北鎌倉駅下車です。
|
先ずは円覚寺・・・
|
入口でユーターン・・・
トシちゃん、あまり興味ないみたいです^_^;
sanaeは何回か来てますからいいですけど・・・
|
たまにはしばらく行っていないコースへ。
踏み切りを渡って反対側へ
|
かけこみ寺へ
東慶寺、別名縁切り寺と言って、昔は
女性にとって夫と別れる唯一の手段でした。
|
|
残念ながら?^_^; 今はその効力は無く・・・
夫同伴の観光と相成りました
|
かつては夫から必死に逃れ、
門前で連れ戻されそうになっても
履物を門に投げ込めば寺の庇護の下に
晴れて別れられたとか。
|
|
そのためには三年間はこの寺で修行をしたそうです。
ひと口に3年と言いますが、別れるためとはいえ
さぞや辛かったことでしょう。
|
|
この寺は尼寺でしたが、明治35年に男僧寺となったそうです。
|
|
庭の木々のどれほどが悲しい女性達を見てきたのでしょう。
この百日紅の花は精一杯頑張った女性達の姿を見ていたのでしょうか?
|
|
|
|
|
|
|
続いて浄智寺へ
|
|
|
|
葛原岡ハイキングコースへ
|
|
|
|
|
日野俊基を祀る葛原岡神社本殿
|
源氏山公園
|
銭洗弁天へ
|
|
ハイキングコースといっても山道より
車も走れそうな舗装道
地元の人の静かな散歩道といった感じです。
佐助という地名が歴史を感じさせます
※
【近くにある佐助稲荷神社のいわれ】
源頼朝は幼少の頃「佐(すけ)殿」と呼ばれていたそうです。
佐(すけ)殿が伊豆の蛭ヶ小島に流されていたとき、病気になり、
夢の中で、ここの稲荷神が翁の姿に化けて平家討伐の挙兵を勧めたとか、
あるいは夢のお告げで旗挙げを促した「かくれ里の稲荷」を
佐助稲荷と名付け祀ったともいわれているそうです。
「佐」が助けられたので「佐助」稲荷の名がついたという説があるそうです。
|
銭洗弁天
|
|
|
|
100円納めてお線香、ロウソク、ざるをいただきます。
|
|
お参りしていよいよ銭洗い
|
ザクザク増えますように♪ ^_^;
|
再びトンネルを通って
|
以前ここに二人で来たのはもう35年位前。
こうして、なんとか生活できているのは
この銭洗弁天でのご利益かなとトシちゃん!
そんなことを話しながら駅に向かうと
銭洗い弁天の周りに住んでいるお宅の立派なこと!
広い敷地と立派な邸宅、高級車を見て
すごいね〜と、思わず笑ってしまったのでした。
私たちも、この先またなんとかやっていけるでしょうか^_^;
縁切り寺に寄った後ですが・・・(^^ゞ
|
長谷の大仏に寄ろうか、天園ハイキングコースをまわろうか・・・
その前に遅い昼食です♪
|
|
|
ところが途中で長男からは今夜遊びに来ると電話が入り、早朝から会社の人と初めての海釣りに行った娘からは釣果のお持ち帰りがあると電話・・・
食事を済ませ早々に電車に乗り込んだのでしたが、横浜で途中下車、ちょこっとデジカメを見に行ってから帰宅しました(^^ゞ
娘のお土産は大きな鯖3尾と鯵4尾!皆さんで分け合ったそうです(^^♪ 鯵はたたきというか、刺身にして美味しくいただきました。鯖は捌いて冷凍庫へ、翌日には塩焼きで食べてしまいましたが、このときの写真を撮らなかったのは迂闊でした(コレはトシちゃんの責任だぁ・・・! 悪戦苦闘して一生懸命作ったのに・・・(-_-メ)
夜は孫達がWii(ゲーム)を持ってきたので一緒にしましたが、まったくついていけません^_^; 一緒に遊べて楽しかったのですが、肩や腕に力がはいって、いやはやとても疲れました^_^; 齢ですね・・・・おじいちゃんとおばあちゃんに手作りの携帯ストラップとお手紙どうもありがとう(^^♪・・・(来週敬老の日の前に^_^;)
|
|
|