富士山
(ふじさん)
日本一の富士山へ。影富士が見られた。

 H6年8月13-14日(土-日)前夜発 ;
 Member.計3名

 【コース】(=は乗り物、〜は歩き)
8/13(土):一日目
吉田口森林公園(スバルランド)駐車場近くのバス停9:55?発=(バス)=五合目バス停10:35〜登山口(2300m)11:00〜六合目(2390m)11:30〜七合目(2700m)12:35〜富士山ホテル(本八合目3400m)14:55(泊)

8/14(日):二日目
富士山ホテル(本八合目3400m)1:50〜富士山山頂(お鉢巡り等、剣ガ峰3776m)3:30-7:26〜富士山ホテル8:10-30〜五合目登山口10:00〜五合目バス停10:15=スバルランド11:00着


【一日目】
 夏の旅行でこの富士登山を組み入れた。今回、息子達は予定が合わず、娘と主人の三人。

 お盆で混むことを予想して前夜9時半出発。富士はマイカー規制の為、車で五合目まで登れない。吉田口スバルラインの手前、森林公園(スバルランド)駐車場に着いたのは11時半頃だったろうか。思ったより早く到着。そうなると、もう少し前の10時頃迄に着けば、そのまま五合目まで行けたのにと少々残念な思いを持つ。とにかく眠る。キャラバンの車内で三人はなんとか寝れる。時間に余裕のあったのがなによりだった。

 朝起きて朝食を済ませ、昼食のおにぎりを作って車を離れたのは9時半。近くのバス停で待つこと数分、すし詰めで乗るだろう事を想像していたが、予想に反して観光バス待遇のバスに全員座席。嬉しくなってしまった。お陰で40分程の道のりを快適な気分で過ごせた。

 五合目到着は10時35分。ガスのかかる中でビデオを回しながら登山口へと向かう。なぜか下り気味のその道をいぶかしく思いながら進む。登る人よりこちらに向かってくる人が多いので二回ほど確かめたが間違い無い。登山口は11時。この先もまだ道幅は広く、ポクポクと馬や馬車が通っていく。なぜか馬の目が悲しそうに見えた。馬に乗ってまで山に登るなと言ってあげたかった。

 六合目は割合近かった。娘がお腹が痛いと言い出して心配したがトイレを済ませて引き続き登る。幸い痛みを引きづらなくてほっとした。

 相変わらずガスがかかって視界は悪かったが登るには最適な気候だった。この夏の短い期間に登山者が集中する日本最高峰富士、さすがに登山道は整備されている。ざらざらと歩きにくい道ではあるが誰でも登れるよう随分と安全に気を配られている。 イタドリ、シオガマホタルブクロ、アキノキリンソウなど数少ない植物が上に登るほどにやがて全くみられなくなった。

 時折小雨が降り、傘をさすまでもなく気持ちよい。さっと青空が広がったその瞬間、遮るものもない富士からのキャンバスに奇麗な虹がかかった。いつもは見上げるその虹が眼下にすべてを晒していた。さすが富士、雄大だ。

 登る道筋に小屋がいくつも建ち、なんて趣のない山なのだろうと思いつつ、そのつど休憩できる有難さをも痛感する。外国の人が驚くほど多かったがこれが日本のフジヤマかと皆がっかりしたに違いない。

 七合目から八合目は少々きつくなる。それでも八合目に宿泊予定だから気が楽だった。傘をさす程の雨が降り、そうかと思うとぱっと晴れた。風も強くなり、さすがに上着を着る。八合目は既に日本第二位の北岳の標高を抜いている。ここまでは気分も悪くならずいわゆる高山病に悩まされなかったとほっとした。名前だけは立派な今夜の宿泊地富士山ホテルに着いたのは午後3時前。登山口から約4時間、快調な時程だった。

 いわばロビー?で温かいお茶を戴く。周りは外人さんだらけでそこはまるで日本では無いようだった。隣の美人のお嬢さんに日本語話せますかと日本語で尋ねた。にっこり笑って首を振るのでそれではと乏しい単語を引っぱり出そうとするが情けないことにエート、エートと連発するばかり。それでもどこから来たかと尋ねたら横須賀と言う。嬉しくなって私が生まれたところだと言ったが分かってもらえたかどうか?何人で来てるのか聞きたかったがハウ....ハウ....エート、ハウ ピープル?と言ったらHow many?と分かってくれた。ウンウンと頷きイエス ハウ メニー ピープル?と聞き直す。ところが流暢な英語で(アタリマエダ)言われたものだからエツ?。ついに彼女隣の仲間にSOS。何と隣のハンサム氏はそれこそ流暢な日本語でサンジュウヨン(34)と答えたのだ。今まで私は何をしていたのだ。彼等を楽しませてあげたかな。浮いた日本人サナエチャンであった。

 そこでお茶を飲んだ後、寝る部屋に案内される。枕ひとつ分の幅のスペースで決して快適とは言えないものの、山小屋はこれが常、荷を解いてとにかく寛ぐ。ところがみるみる手先が冷たくなって、寒さが全身に感じられてきた。主人と娘は疲れていたのだろう、即お布団の中に入りすぐ寝息をたて始めたが、私は途中で起きる不愉快さを思って起きていた。寒いのを我慢して晴れた景色を外で眺めていた。食事で起こされた主人達と一緒に再びロビー?ならぬ食堂へ行き夕食のカレーを食べた。足りなくて娘はおでん、私はお汁粉、主人はうどんを追加。こんな高い山でも何でもあるのだ。商魂たくましい。ただし味は保証の限りでない。

 布団に戻って主人と陽子は5時には寝てしまった。私は山頂で出す絵葉書をせっせと書いて6時就寝。初めとても寒かったが次第に熱くなってきた。北岳の毛布だけとは違いちゃんとした布団だったからだろう。寒いよりはまだ良い。その熱さに布団をはねる娘を気遣いながらうつらうつらしていたが1時半起床までの時間は長かった。夜中じゅう登山客の連なる富士山、必ずどの小屋の前も通るようになっているからどうしても眠りが邪魔される。

【二日目】
 ようやく灯りがついたとき、少し頭が痛かった。高山病の症状なのだろう。北岳の時もそうだった。私は起きて歩けばすぐ治ると思っていたが、娘には、心配するのでバッファリンを飲ませた。幸い三人ともこの時だけで済んだ。

 お弁当を受け取って出発夜中の1時50分。外は寒いと思って着込んで外に出る。スムースに進むうちは良いが、やがて数珠つなぎの登山道は思うように進まなくなってきた。1回だけ座って休憩したがその時の寒さといったらない。脇には疲れ果てて眠っている人、酸素を口に当てている人、連れている犬がのびて足止めをくっている人、様々だったが見るも哀れなくらい人目を気にしない姿の人が多かった。富士には来たけれど、山歩きに慣れていないという人が多いのだろう。彼等には過酷な登りだったと思う。進み方は少しずつでも歩いていればそれほど寒さは気にならない。周りを眺めるゆとりがあった。河口湖方面の夜景と登る人の動く灯りの繋がりはとても美しい。そして頭上に満天の星。ゆっくりと登っても1時間半で着いた山頂。思ったより近かった。鳥居をくぐる度にそれを触っていた娘、良く頑張った。身に付いた荷物だけをしょって登った主人もいつになく落ちこぼれず無事登頂。山頂の小屋の辺りは賑わっていた。とにかく温かいものが欲しかった。歩みを止めた途端、寒さが感じられてきた。ここもいろいろなものが揃っていた。私はお汁粉(うわずみだけの汁にちっちゃな形ばかりのお餅入り)、娘と主人は缶の温かい飲み物とラーメン半分ずつ、そしてミルク(これがよく分からない味)。

 ご来光までの約1時間半近い時間は混雑した無料休憩所と称するところでつぶす。しかしそこのおばあさん主人がここは仮眠所ではありませんとがなりたてている。

 辺りがオレンジ色に明るくなり始めてきた頃、見やすいところに移動した。しっかり着込んでいるもののかなり寒い。その寒さに耐え、山頂から雲海の彼方、その素晴しい変化を楽しむ。右に左にビデオを回し、カメラのシヤッターをきる。誰でもどこでも朝は迎えるけれど、日本一高い場所から見るこの醍醐味はやはり最高だ。

 そのままお鉢巡り。山頂のNTTで登頂記念のテレカを買い、浅間社奥宮を参拝して娘のお守りを求め、そばの郵便局のポストへ昨夜書いた絵葉書に山頂での一言を添えて投函した。その後ちょうどあった陽だまりでお弁当の朝食をとり、測候所へ向かうがそこは又富士の一番高い場所剣ガ峰でもある。さすがにそこへの上りは急勾配だ。そして登り詰めれば南アルプス、中央アルプス、続いて北アルプスの展望が広がる。もうどれがどの山だなんてどうでもいい。そのパノラマを満喫するばかり。そして下、富士の西側の裾野に広がる富士山の全身の影。影を見ながらあの頂点に立っていると思う事は何とも気持ちのいいものだった。片や富士のぽっかり空いた火口を眺め、平坦な道を歩く人達を見、石で書かれた様々な大きな文字を見つめる。この高所に立たずなんてもったいないのだろうと思いつつ。3776Mという高さでありながら雪渓は思ったより少なかった。木一本なく、全て白日の下にさらしてこのわずか2カ月ほどの期間を私たちに解放してくれている。一番高い山、高嶺の山に違いないのに誰もが幼いころから一番親しんできた山。てっぺんを歩いていることがとても不思議だった。富士山という名を持ちながら火口の周りのでこぼこにもそれぞれナントカ岳と名がついている。山頂は広い。お鉢巡りに1時間もかかるのだから常識と言われてしまいそうだが、登る前は理解できにくかった事がこうして登ってみて初めて分かった。

 雲上を眺め下界を見下ろし、2時間以上かけてゆっくりとまわり、7時半下山。真っ暗な中でよくこんな道を登ったと感心しながら、それでも下りるとなるとあっという間だった。昨日と違い日本晴れでとても暑くなった。多少は山頂に未練を残しながら、それでも一目散に下りる。2回ほど休憩し、八合目では小屋に寄って20分程いたが、その時間も含め頂上から五合目まで2時間半。なんと休んだ時以外誰にも抜かれずそのスピードは新幹線並み。下山もまた雲海に近づく気がしてその感覚が何とも言えず、いいものだった。いつの間にか雲の下になり、裾野に広がる緑が見えてきて下りのあっけなさを思った。何人かの人が体調を崩していて気の毒だった。心の中で頑張れと声をかけながらすり抜けてきたけれど。幸い私たちは無事下山でき、何よりだった。

 富士山下山後は五合目からバスで駐車場に戻り、スバルランドのお風呂(最初お湯がでないひどいものだった)に入った。カップ焼そばで昼食を済ませ出発。

 【山行記録はここまで。以下は続いて行った夏旅行の記録】


 富士五湖の一つ精進湖の側を通りすぎてキャンプする場所を捜した。すずらんキャンプ場というのがあったがあまりにひどいので止めた。そこから少し行ったところの砂防公園がとてもきれいだったので、そこでキャンプした。さすがにテントは張らなかったがテーブルと椅子は出し、メニューは豚肉の生姜焼をメーンにサラダやら冷奴やら。公園で遊んで(足で回す水車やローラーの滑り台、遊べる川辺など楽しめた)、車内で眠る。

 翌日早めに朝食を済ませ少し遊んでから木曽路の馬籠へ行きぶらりと歩く。古い宿場町の風情を堪能と言いたいところだが人がとても多くてさしずめ馬籠銀座といったところ。途中島崎藤村記念館があって見学する。中学の頃何冊か読んだのを懐かしく思い出す。観光化する前はもっと素朴な環境の良い所だったのだろうと推測する。暑かったので食べた宇治金時(娘はレモン)の美味しかったこと。

 そして木曽山麓の南木曽キャンプ場へ。想像した以上の立派なオートキャンプ場だった。今年の6月きれいに広げたらしい。ここならキャンプ好きの知人にお勧めだと思ったがちょっと遠い。電源もそれぞれのサイトに入っており、シャワーあり簡易水洗トイレあり。この日はテントを張って久しぶりに三人伸び伸びと横になった。

 翌日は近くの滝のあるところまで遊歩道を歩いた。往復約1時間。人がいなかったので滝では主人が真っ裸になって水浴び。暑かったので気持ちよさそうだったがさすがに私たちはできない。途中咲いていたツリガネニンジンがとてもきれいだった。もう秋はそこまでやってきている。昼食をしっかり食べてから出発。一泊のキャンプ場でこんなにゆっくりしたのは久しぶりだ。

 あとは一路愛知岡崎の家に向かうだけ。中央道でぐるり南アルプスを周りこみ地図を見ながらあれが北岳、あれがナニとその景観をじっくり楽しむ。珍しく娘も前にすわり三人で喋りながらの旅行は楽しかった。中央道から東名へ行く予定だったが途中瀬戸に寄ろうということになり、大きな瀬戸焼のセンターに入った。きれいに素敵に飾られているが値段がとても安い。思いきって数点購入。満足して再び車に揺られる。のどかな愛知県の風景に娘は「いいなあ」を連発。主人は「愛知を馬鹿にして」と笑っている(主人が愛知出身なもので・・・)。

 岡崎(親戚)では甥が寮に入っていて会えなかったがみんなとボーリング、カートをし(ゴーカートに乗る)、食事に行ったりパフェ、ケーキを食べに行ったりと、楽しく過ごし、2泊して18日帰宅した。

     “緋に染めて雲間に映ろふ暁の前に群がる人の小さき”
     “登っては求めし富士の頂上(うえ)に立ち今日も見るなり西にその影”
     “南木曽にてツリガネニンジン咲き初むる男滝女滝が娘のように”
     “東名より小屋の灯揺らぐ富士を目に登りし跡を辿る夕暮れ”