八ヶ岳・阿弥陀岳
 (あみだだけ 2805m)

2月厳冬期、御小屋尾根から阿弥陀岳へ。やはりラッセルは大変だった!

 H17年2月5-6日(土日)
  天気;晴
  Member.3人(斉木、石原夫婦)

【コ ー ス】(〜は歩、休憩時間含む) 
一日目(5日)
美濃戸口(1490m)8:00〜御小屋山(2136.7m)12:50〜テント場(2170m)14:10
(所要時間6時間10分・・休憩含む
 標高差680m)

二日目(6日)
テント場(2170m)6:10〜不動清水(2296m)7:47〜阿弥陀岳山頂(2805m)13:35-47〜分岐14:22-37〜行者小屋15:00-25〜美濃戸山荘17:12-32〜美濃戸口18:35
(所要時間約12時間25分くらい・・休憩含む
 標高差635m)
【阿弥陀岳山頂近くより振り返る】
参考:エアリアマップ夏道コースタイム
美濃戸口〜1時間50分〜御小屋山〜1時間40分〜不動清水〜1時間30分〜阿弥陀岳〜20分〜分岐〜50分〜行者小屋〜1時間40分〜美濃戸山荘〜50分〜美濃戸口

 御小屋尾根から阿弥陀岳に行こうという話が斉木さんから出ていたのはもう3,4年前になるだろうか。もちろん積雪期の話である。行きたい気持ちはいっぱいだがなんせその力がないと半ば諦め、半ばいつか行きたいと思っていた。斉木さんには積雪期の赤岳、谷川のタカマタギや荒沢岳、夏の沢登りなど夫婦二人では体験できないような山行をさせて戴いている。その培った実績と経験はとても私たち夫婦には真似の出来ない事なのだが、それだけに頼りになる人なのだ。そして今回、気になっていた御小屋尾根からの登頂を決行したのだった。

 自宅出発は前夜10時半頃。美濃戸口に着いたのは約3時間後。夏と違い駐車場に車は少ない。テントを張って就寝2時ごろだったため、翌朝6時起床にした。八ヶ岳山荘は夜間もトイレを解放してくれているので助かる(チップ制で100円)。しかも中は温かい。それにひきかえテントの中は寒かった。
【美濃戸口から出発】

【一日目御小屋尾根へ】

 朝の気温は氷点下10度、これでは山頂はどれだけ下がるのか・・・登るのを止めて温泉にしようか・・とつい気持ちが引いてしまう。冗談とも本気ともつかずそれでもしっかり山の準備等を整え8時に出発した。

 精一杯軽量化に努めたが、その分斉木さんのザックは重そうだ。共同装備のテントやザイル、スコップなど入っているから無理もない。

【まずはつぼ足で】
 まずは広い敷地に立つ別荘地を羨ましく眺めながらしっかり除雪されている舗装道をゆっくりと御小屋山方面へと向かった。別荘地の端で道路の除雪も途切れ、そこから雪道となった。トレースがうっすら残っている。おそらく先週末あたりに人が通り、2月初めの雪で埋まったのだろう。最初のうち積雪は膝下で所々膝上になった。斉木さんはオーバーズボン、夫も多少防水性のあるズボンだったが、私はウールのズボンにスパッツだった。それで大丈夫だろうと思ったが、やはり雪が絡みつく。それでもしばらくはつぼ足でラッセルを交代しながら進んでいった。
【富士見パノラマスキー場が見える】

 前が開け、御小屋尾根が見えてくると、右後方に富士見パノラマスキー場のある入笠山方面が見えてきた。二週間前に登っただけにその時の事を思い出す。天気はよく、陽射しもあるのだが、休憩していると寒くなる。気温はマイナス6度だった。

【雪が深くなってワカン装着。もうすぐ御小屋山】


 再び歩き出すが積雪量が増え、途中でわかんを装着。足元だけでなく、樹林に積もった雪が容赦なく上から降り注いでくるので私はその時に合羽上下を着た。ようやく身につく雪が気にならなくなった。
【編笠山と権現岳の山頂が見えてきた】

 舟山十字路からの道と合流しその少し先が広場のようになっている。そこには財産区境界標識という木柱がまとまって立てられており、それはこれから先も数箇所に見られた。しかし雪で、どこに御小屋山の三角点があるのか分からない。やっと尾根に取り付きしばらくは平坦になるのでホッとする。編笠山と権現岳方面が見えてきた所で休憩。見晴らしの良いその場所は陽だまりで気持ちよかった。しばし大休憩。

 予定ではこの尾根上でテントを張るつもりだったが行けるようなら行者小屋まで行きたいと思っていた。しかしこの時すでに13時を過ぎ、それは難しい。
【テント設営】

ということでテン場に良さそうな場所を見定めながら進んでいくと、ちょうど良い場所があった。あまりに適地だったのがいけなかった。もう少し先に行っておきたいという斉木さんの思いをよそに、夫はすっかり、早くテントを張りたいモードになっている。地図上では一旦下るとその先は等高線の間隔が狭く、樹林帯が込んでいればそのスペースも取れるかどうか分からないという不安もあった。不動清水に近いのではないかという思い込みもあり、時間的にはまだ早いが、結局そこでテント設営。結果的にはその先に設営できそうな場所が無いことも無かったが、今回のその場所が一番快適な空間だったような気がする。とはいえ、翌日の行動時間にかなり響いてしまったから、やはりもっと先に進んでおくべきだったと反省。
【阿弥陀岳:テン場より】

 その快適なテント場からは阿弥陀岳が正面に見え、圧倒された。私たちに登れるのだろうかと思わせるほど寄せ付けない雰囲気を持っている。その不安がジョークまじりに口からついて出るが、斉木さんのおっとりした口調が気休めとはいえ有難かった。安全を意識するのは当たり前のことで、そのための緊張感もまた持って当たり前。無理なら引き返せばいい。

 その日は豚汁鍋と斉木さんの持ち上げてくれたビールで乾杯。・・・・って、本当に緊張感を持っているのか・・・(^-^;;

 18時頃にはマイナス16度という寒さだったがその夜のテント内は温かかった。

【二日目、阿弥陀岳へ】

 4時起床。昨夜の残りで雑炊にして食べ、テント撤収。準備を整えて6時過ぎに出発した。明け方の空にはまだ星が輝き、この日も天気は良さそうだが風があった。森林限界を超えた所でどれほどの影響を受けるか気になったが出発する頃にはいくらかおさまったように感じられた。

【不動清水のあたりで】

 最初からわかんを着け、下りでウォーミングアップ。積雪は少なくトレースもまだついていたので楽だったが、登りに転じると次第に積雪量は増えていった。疲労する前にラッセルを交代して進んでいった。だんだんとトレースも途切れがちになり、いつしかそれも消えてしまった。前回通った人が途中で撤退したのかもしれない。新雪の登りは思うように進まない。1時間進んでは10分ほど休憩を繰り返したが、2時間足らずの場所で「不動清水入口」と書かれた看板があった。夏道ならばたいした距離では無かったかもしれないが、距離を稼げないラッセルの雪道でこれほど時間がかかっていようとは・・・と、がっかりした。戦意を喪失しないようにその時は誰も口にこそしなかったが、皆同様の思いだったようだ。
【疲れる・・・】

 この先が思いやられると思ったのは図星。二人ならとっくに撤退、三人でかろうじて進めるといったところだった。ピッケルで崩したり膝で押さえたりして一歩一歩進むのは体力を使う割りに遅々とした歩み。経験豊かな体力ある男三人ならばもっと早いだろうが、ラッセルするには私はあまりにか弱い(えっ!って?)・・・ここはやはり斉木さんが頼りだが頼ってばかりもいられない。三人で協力して進んでいくうちにラッセル久しぶりの私たちもだんだんと体が馴染んで逞しく変身。まったくトレースの無い所をブルドーザーの如く?進んで、振り返ると二人の姿が見えない。まもなく登ってきたが顔を見て「あれ?メガネのレンズは?」「落としちゃったんですよ」ということだった。すぐ気づいたが、雪の中に埋もれてしまって捜しても見つからなかったそうだ。幸い予備を持ってきていたので休憩のときに交換。
【中央アルプスや御嶽山、手前右下が御小屋山】

 右手の編笠山、権現岳の高さまでなかなか届かないのがもどかしい。森林限界をなかなか抜けなかったが、それでも視界が開けたところに出ると北アルプス、中央アルプス、編笠山の陰に南アルプスの一部をのぞかせて、それは見事な景観だった。それにしても目の前の阿弥陀岳が近づくほどにますます近寄りがたい姿に見えてくるのはどうしたわけか。私たちを登らせてくれるのだろうか、受け入れてくれるのだろうかと思いつつ再び向かっていくのだった。
【やっとここまで来たけれど・・まだ遠い】

 森林限界を越える手前で初めて下山者とすれ違った。北稜から登って下りてきたという二人連れで腰には登攀具を身につけていた。森林限界を超えたところで今度は南稜から登ってきたという単独男性とすれ違った。山頂では風がとても強かったという。登りで出会ったのはこの三人だけだがおかげでこの先のトレースがしっかりしたものになった。

 ずっとわかんで歩いてきたが、岩場になったところで緊張感が高まる。山頂は近づいてはいるがそれがさらに遠く感じられるほどだった。そのときトップは私で間に夫が入り、斉木さんがラストについていた。斉木さんからは様子が分からないだけに指示を出しにくかったようだがワカンでは困難と見てとりあえず外す。下ってきた人がいるのだから登れるはずと、冷静に登れそうな所を選んでよじ登っていった。夫が気になったが狭かったので後は斉木さんに任せ、ひとまず安定した場所へと下った。ワカンを片付けている間に無事二人がやってきた。ここからはアイゼンに替えて進む。
【がんばれ!がんばれ!】


 新しいトレースがあり、風が弱まっていたのがありがたい。斜度は思ったよりきつくは感じなかった。先ほどのような岩場も無く、ガレた上に残る積雪を踏んでいく。吹きさらしの場所だけに、もし強風だったら怖かっただろう。以前長男と、赤岳天望荘から山頂を目指したときの強風を思い出した。

 休憩できる場所ではなかったので少しでも早く上に行ってしまおうと思うのだが早々スピードが出るわけではない。振り返ると夫も辛そうだ。その後についている斉木さんが気の毒だったがそれでも私との距離も広がっていかない。調子いいのかなと思っていたら、やはり辛かったそうだ。「一人どんどん先に行って・・・」と思いながらそれが起爆剤となって歩けたようである。よしよし・・・

【がんばれ!がんばれ!】


 一方私も写真を撮りつつ休み休み登っていった。登りきる手前にロープがあり、半ば埋まったりしていた。アイゼンをしっかり踏み、ピッケルをしっかり挿し、ロープなり岩なり、掴めるところは掴んで確実に登っていった。そしてやっとピークだとよじ登ったそこは・・・


 ピューといきなりの強い風に慌てて足を踏ん張る。山頂方向はまだ先で、そこに至るルートは「えっ!あんなところを通るの?」と地形図では読めなかった地形に一瞬愕然。しかし風が強く、そこで待つわけにもいかなかったので先へ進む。もしトレースが無かったら一人では通れなかっただろう。以前阿弥陀岳に登ったときは、ガスがかかり、まったく周りの情景が見えなかった。もしそのとき見ていたら、あるいは今回気持ちにブレーキがかかったかもしれない。知らぬが仏とはこのことか。下を見ると凄い斜度、足を滑らせたら怪我ではすまないと思いつつも恐怖はもう感じなかった。難所を通り抜け、山頂に近づいたところで振り向きやっとシャッターを押す(トップの写真)。
【山頂から富士山】

 一足先に着いた山頂からの展望は素晴らしかった。360度の好展望。アルプスの山並みと富士山も見える。すでに13時半、富士山は隠れてしまうことの多い時間なのに待ってくれていたような。八ヶ岳の山並みも眺めていると正面の赤岳山頂にも立つ人が見えた。今回、赤岳も登る予定だったが時間的にもう無理と諦めた。充分満足である。中岳を越えて文三郎尾根から下る予定だが、その稜線の踏み跡もかなりきわどい。まだまだ緊張の糸はほどけない。
【山頂からは360度の展望が広がる、南アから北アまで一望】
 
夫たちが来て、風を避けたところで少し休んでからまた私が先に行く。夏道では両手両足で登った覚えがある。急だという記憶はあったがこの下りは斉木さんが一番気にしていた所だ。さすがに夏山と雪山とではまったく様相が異なる。阿弥陀岳は南稜、北稜がこの時期人気のようで踏み跡からもその様子が感じられる。急斜面はピッケルの手元を挿しながら後ろ向きで下りていった。前向きではザックが雪面にあたりそうだし恐怖感がある。一歩一歩ゆっくりと下りていった。
【山頂からの下り】
 
分岐まで下りるとそこから直接行者小屋へしっかりしたトレースがあった。ほとんどがここから下っていくのだろう。ここで夫たちが下りてくるのを待つ。雪崩を心配して斉木さんはここを通りたくなかったようだが気温が低かったので大丈夫だろうと判断。少し休憩してから今度は斉木さん先頭、私が後ろにまわって下りていった。時々尻セードでいったので行者小屋には早めに到着。
【阿弥陀岳:行者小屋より】

 ここまでくればあとはそれほど心配無い。急げば明るいうちに下山できただろうが、さすがに皆疲れきっていた。途中でヘッデンを使ってもいいからしっかり休憩し、ゆっくり下りていこう。

 ピッケルからストックに変えようとして、ストックが無くなっているのに気がついた。落としたのはきっとラストについて尻セードをしたときだろう。
【美濃戸山荘前で。奥に見えるのは阿弥陀岳】
 
美濃戸山荘までの間に一度休憩し、ゆっくり下りて山荘でも一休み。山荘から正面に見える山は登ってきた阿弥陀岳のようだ。見上げながら今日のルートは長かったと振り返る。いくつかの反省も思い浮かぶ。でも無事に歩けてよかった。斉木さんが一緒で心強かった。感謝。ここからはいつでも点けられるように皆ヘッデンを着け、重い足を引きずって(もともと重いけど・・)美濃戸口へと戻ったが、2箇所ほどショートカットしたにも関わらずゴールは長く感じられた。

 車に乗り、途中で寄った日帰り温泉は「ヒルサイドホテル富士見」500円。午前10:30〜午後8:00まで受付。入浴は9時までだったのでゆっくり入ることが出来た。

中央道、双葉SAで食事したあとそのまま帰路につく。長い一日だったが充実した山行だった。斉木さんはメガネのレンズを無くし、私はストックを無くしたけれど。夫は?と聞けば一言「自信を無くした・・」(@.@) 帰宅してそれを母に言うと即「そうか、お前は金で買えんものを無くしたか・・・」

さて無くした自信をまた取り戻しに行こうね、お父さん!